ケニー・ウォーターズ事件の真犯人・冤罪証明に妹が弁護!アンビリバボー内容早わかり [社会問題]
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今週の『奇跡体験!アンビリバボー』は、必見!アメリカで社会問題となっているえん罪事件「ケニー・ウォーターズ事件」についてオンエアされた。兄の無罪を信じ真犯人を追う『妹ベティアン・ウォーターズ』の壮絶人生とは!冤罪証明のため自ら弁護士になった妹にスポットをあて、事件の全貌が明らかになる。その内容を解説します!最後まで読んでくれたら、事件解決の糸口があなたもわかると思います。
【事件発生】
今から32年前の1982年。
当時28歳だった妹・ベティアンは、夫と生まれたばかりの息子に囲まれ、平凡ながら穏やかな日々を送っていた。 ある日、1歳年上の兄・ケニーが警察に逮捕されたと、母から電話があった。
ケニーはそれまでにも、度々警察の厄介になることがあったが、この日はいつもと様子が違っていた。
兄・ケニーが「殺人容疑」で逮捕されたのだ! 実はこれより2年前、この地区で凄惨な殺人事件が起こっていた。
1980年5月21日。 マサチューセッツ州、エアー郊外の住宅で主婦カタリーナ・ブローさんの刺殺体が発見された。 家の中は荒らされ、現金や宝石が盗まれていたことから、警察は物取りの犯行と断定し捜査を開始した。
すると、カタリーナさんは当時ケニーが勤務していたバーの常連で、店内でよく宝石の自慢をしていたのだ。
それでケニーが、 参考人として取り調べを受けることになったのだ。
だがこの時彼は、すぐに釈放されている。 というのも、現場に残された『ナイフ』から被害者のものと別の血液が発見されており、犯人は被害者と争った際に負傷した可能性が高かったからだ。
さらに、犯行時刻とされた朝8時から9時の間、彼には完全なアリバイがあったのだ。
ケニーは、事件前日の夕方から当日の午前8時30分まで勤務先で仕事をしていた。 その後 店を出ると、いったん当時の恋人・ブレンダの待つ自宅に戻り、スーツに着替え、午前9時、少し前に起こした喧嘩騒ぎで出頭命令を受けていたため裁判所に向かい、午前11時までその裁判に出席していた。
その後、ケニーに殺害容疑がかけられたことに憤慨した恋人のブレンダも、警察でケニーのアリバイについて証言。 さらに、タイムカードに記録された時間からみても、ケニーが犯行を行うことは絶対に不可能であることがはっきりと証明されたのである。
しかし、疑いは晴れたものの、真犯人は結局、見つからなかった。 警察は懸賞金をかけて情報提供を呼びかけたが、捜査は進展のないまま2年の月日が流れた。
【冤罪?のはじまり】
そんなある日のこと、カタリーナさん殺害について重要な情報を持っているという電話が警察にあった。 この時、電話をとったのは『ナンシー』という女性だった。 実は彼女は正規の警察官ではなく、限定的に職務を許された非正規職員だった。だが、彼女は自分が担当者だと偽り、ほかの警察官に代わることなく話を聞いたのだ。
電話の内容は、「2年前、警察に嘘をついた奴を知っている」というものだった。
こうして事件から2年半後、ケニーは突然逮捕された。
連絡を受けた妹・ベティアンは、すぐに警察署に向かった。 ベティアンは当時のアリバイを主張し、事件があった日のタイムカードを見せてくれるよう頼んだのだが、一般人には証拠を見る権利はないと、門前払いされてしまった。
【誰かの陰謀か?組織ぐるみか?】
ケニー自身も、なぜ逮捕されたのか分からずにいた。 しかし、あれだけたくさん証拠あったのだから、裁判になれば無実は証明されると信じていた。
だが数ヶ月後、ケニーの裁判が開始されると、待っていたのは信じられない展開だった。
なんと、検察が裁判に提出した証拠品の中に、ケニーの無実を証明するはずだった事件当日のタイムカードが入っていなかったのである。 さらに、弁護士は異議を申し立てることもしなかったのだ。
実は、ケニーの弁護士は無料で頼める国選弁護人だった。 ケニーが誰が見ても無実なのだからお金をかけて弁護士を雇う必要はないと言ったのだ。
だがそれが間違いだった・・・。
ナイフから検出された被害者以外の血液は O型、ケニーもまた O型であることを検察は指摘。
当時はまだ、科学技術捜査が発達しておらず、血液型である程度の絞り込みを行うことが精一杯だった。
もちろん、これだけでケニーを犯人だと断定することはできないはずだった。
【偽証なのか?】
しかし、驚くことに、当時の恋人・ブレンダが裁判に現れ、「あの日、ケニーは自分から俺が殺したと言ってきたんです」と証言したのだ!! さらに、当時 ケニーから DV を受けていたため、恐怖心から警察に本当のことが言えなかったと・・・。
事件後に別れた元恋人が突然証言を覆した。
そして事件から3年後、ケニーには第一級殺人および武装強盗の罪で「終身刑」が言い渡された。
有罪判決を受けた後、ケニーの家族はなけなしの金をかき集め、弁護士を雇って上訴した。
しかし、その頃にはケニーの無実を証明する証拠は全て紛失という形で処理されていた!
それだけではなかった。 事件当時 ケニーのアリバイを証言してくれていた仕事先の仲間たちも、ケニーの逮捕後はなぜか揃って口を閉ざすようになってしまったのだ。
結局、またもや敗訴。 終身刑の判決は変わらなかった。
もはや、警察が何らかの圧力をかけているのは明白だった。
【最悪の事態に・・・】
そんな折、悲劇は起こった。 絶望したケニーが、刑務所内で自殺を図ったのだ!
何とか一命は取り留めたものの、ケニーの絶望は変わらなかった。
もっと良い弁護士を雇って上訴するというベティアンに、
「だったらお前がやってくれよ!ほかの奴はもう誰も信じられない」と、ケニーは言った。
ケニーが発した突拍子もない一言。
だがこの時、ベティアンの脳裏にはあることが浮かんでいた。
ケニーが逮捕された時、警察で一般人には証拠品を見る権利はないと拒否された時のことだった。
さらに、それまでの裁判の経験から、弁護士でなければ特定の証拠を確かめることも、事件関係者と話すこともできないことは分かっていた。
【妹・ベティアンの決意】
ベティアンは、弁護士になることを決意した。
こうして兄の無実をはらすために、29歳で弁護士を目指す妹ベティアン・ウォーターズ だが、それは、彼女にとって途方もなく長い道のりの始まりだった。
なぜなら、アメリカで弁護士資格を得るためには、大学の法学部で4年間 学んだ後、3年制の法科大学院に通わなくてはならない。 最短でも「7年」はかかる計算になる。
しかし、ベティアンはそれまでの裁判で全財産を使い切っており、総額5万ドルにもなる学費をためることから始めなくてはならなかった。
それだけではない、主婦である以上、家事や育児は当然の義務。
さらに肝心の勉強も高校を中退していたため、基礎科目から学び直す必要があった。
それでも彼女は睡眠時間を削り、この生活を貫き通した。
【ベティアンの信念】
支えていたのは、何としてでも『兄の潔白』を証明したい、その信念だけだった。
そしてケニーとの約束から5年後、ベティアンはついに大学に合格。 この時 34歳、無実の兄を救う戦いの入り口に立ったのだ!
大学に入って専門的に法律の勉強を始めてみると、自分たちがいかに困難な状況に置かれているか分かってきた。
すでに終わった裁判で認定された事実を覆すのは難しく、また、再捜査を求めるにも、今までにない『新しい証拠』が必要だった。
それでも、どこかに、きっとケニーを救う糸口があると信じ、4年をかけて大学を卒業。
ベティアンは、40歳にしてついに大学院にまで進学した。
分かったことは、皮肉にも、学べば学ぶほど、『ケニーの無実』を証明することは難しい、ということだけだった。
【絶望・・・からの脱出】
そして、様々なすれ違いから夫と離婚。
大切な家族を救うための努力が、皮肉にも自らの大切な家族を失う原因となってしまったのだ。
さらに、当事者ケニーからも諦めの言葉が・・・。 今まで自分は何の為にがんばってきたのか? 全てが分からなくなってしまった。
彼女はもはや、生きる意味さえ見失いかけていた。
そんあある日のこと。
大学院を休むベティアンを心配して、友人であるエイブラが、訪ねてきてくれた。
エイブラは、「ここで諦めたら本当に終わっちゃうのよ。本当にそれで良いの?」と、ベティアンに言った。
弁護士を志すことがなかったら出会うこともなかった、エイブラはかけがえのない親友だった。
彼女の選んだ過酷な道のりは、決して失うことばかりではなかったのだ。
そして、ベティアンは決して諦めないと決めた。
【新たな希望】
こうして再び前を向いて歩き出した彼女に、大きな転機が訪れたのは、大学院の卒業まで後1年に迫った頃のことだった。
当時 最新技術だった 『DNA鑑定』のことを知ったのだ。
今でこそ頻繁に耳にする DNA鑑定という言葉だが、捜査や裁判で証拠としての効力を発揮したのは、1990年代に入ってからのことだった。
ベティアンの脳裏に稲妻が走った!!
あの裁判でケニーを有罪に導くため、証拠として使われた『凶器のナイフ』。
そこには犯人と思しき人物の血痕が付着していた。 もしもその血痕が、ケニーのものでないと分かったら、あの時の検察側の主張は、根本から崩壊することになる。
しかも、紛失扱いにされたタイムカードと違い、裁判でも実際に使用されたあのナイフなら、今でも保管されている可能性がある。
それは十数年の間、深い霧の中で懸命にもがき続けていたベティアンにとって、初めて見えた『本物の希望』だった!!
【唯一の希望が・・・】
ケニー逮捕から、実に「16年」の月日が経った1998年。 ベティアンはついに法科大学院を卒業、弁護士資格を取得したのである。
弁護士となったベティアンが最初に向かった場所、そこは、かつて門前払いされた地元の警察署だった。
弁護士として当時の証拠を見に来たのだ。
だが、ここには証拠がなく、ずいぶん前の事件のため、廃棄されてしまったかもしれないというのだ。
裁判に使用された証拠には保存義務があるが、その期間は州によって異なっていた。
また管理体制の乏しい機関の場合、保存期間を過ぎると廃棄してしまうこともあったのだ。
10数年に及ぶ苦労の末、ようやくたどり着いたはずの『希望』。
しかし、無実を証明できるはずのそのナイフは、保存期間が過ぎており、どこにあるのか全く分からなかった。
その後も親友と共に、手当り次第に探し続けたが、いくら調べても証拠品の行方は分からなかった。
だが、実は希望もあった。
証拠品が廃棄された場合、通常は、廃棄されたという『記録』が残されるはずなのだが、どんなに調べても、その『記録』は発見されなかったのである。
それは、『あのナイフ』が、まだこの世のどこかに残っているかもしれない、ということを意味していた。
そして、しらみつぶしに証拠品を捜し始めてから数ヶ月後のこと。
ケニーの裁判をした場所とは全く違う場所にある裁判所の地下倉庫に、証拠品が保管されていたのだ。
ベティアンはその後、検察にナイフの『DNA鑑定』を依頼。
これでようやくケニーの『無実』が証明される、はずだった。
だが、何と、検察はベティアンが依頼した DNA鑑定を拒否してきたのだ。
検察はケニーを有罪にしたのは、血痕だけではなく、複数の根拠があったためと主張。
今更、DNA鑑定をする必要はないと判断したのだ。
だが、法律の専門家となったベティアンにとって、この検察の回答はある程度『想定内』だった。
彼女には検察に、なんとかDNA鑑定を認めさせる、とっておきの『秘策』があったのだ。
【新展開!】
ベティアンは、かつて裁判で突然証言を覆したケニーの元恋人・ブレンダの元を訪ねた。
ブレンダは何も語ろうとしなかった。
だがその時、ブレンダの娘・マンディーが「お母さん、本当のことを言って!」と、言ったのだ。
実は、ケニーとブレンダの間には子供がいたのだ。
その後、二人は別れてしまい、娘はブレンダが引き取って育てていたのだ。
マンディーは、殺人者の子供として幼い頃いじめられていた。
そのため、本当に自分の父親が殺人を犯しているのかどうか知りたかったのだ。
すると、元恋人・ブレンダは信じられない『真実』を語り始めた。
【真実への道のり】
実は、『ケニー逮捕』の、きっかけともなった情報提供の『電話』。 その電話をかけたのは、ブレンダがケニーと別れた後に交際していた『オズボーン』という男だった。
オズボーンは、ブレンダから事件のことを聞き、「適当な情報を流せば、懸賞金が出るかもしれない」という軽い気持ちで警察に電話したのだった。
それこそが、悲劇の始まりだった。
さらに、ブレンダはケニーを逮捕した、警察職員『ナンシー』に脅され、証言を覆したというのだ。
当時、警察の非正規職員だったナンシーは、正式な警察官として採用されることを目指していた。
そんな時、突然かかってきたオズボーンからの電話でナンシーは、「手柄を立てれば、警察官になれる」と、思った。
後にオズボーンと共謀してブレンダを脅迫し、無理矢理、ケニーを犯人とする『証言』をさせていたというのだ。
そしてこの日、『ブレンダとの会話』を録音していたベティアンは、再び、検察に『再捜査』を依頼した。
その結果、検察もようやく重い腰を上げ、ナイフの『DNA鑑定』を実施することを認めたのである。
そして、DNA鑑定の結果が届いた。
そこには、「ナイフに付着していた血痕と、ケニーのDNAは、一致しなかった」と、はっきり明記されていたのだ。
後日、とうとう何の言い逃れもできなくなった検察は、ケニーの釈放を決定した。
ケニー・ウォーターズ事件が『えん罪』であることを認めたのだった。
そして、2001年6月。
18年もの間、投獄されていた『ケニー・ウォーターズ』さんは、この日晴れて自由の身になったのだ!
ベティアンさんはこう語る。
「あの18年間が、特に辛かったとは思いません。もしも、これから同じことが起こったとしても、私はまた同じことをします。」
13年前、執念で兄の『無実』を証明した新人弁護士『ベティアン・ウォーターズ』さん。
現在の彼女を訪ねてみた。
待ち合わせ場所に指定されたのは、とあるレストラン。 中に入ってみると、ベティアンさんが迎え入れてくれた。 実はベティアンさん、ケニーさんの事件を含め、これまで弁護士として『報酬』を受け取ったことは一度もなく、学生時代から数えて、23年目となる今も、このレストランで働いている。
そして晴れて自由の身となった兄のケニーさんだが、残念ながら釈放後、不慮の事故で亡くなっていた。
しかし、ベティアンさんは、兄の死であの18年間が無駄になったとは思っていないという。
実はベティアンさんは、えん罪の可能性が高いある事件の弁護を無償でおこなっているという。
兄のケニーさんが獄中にいる時、彼と知り合い無実だと確信したという。
その彼の無実を勝ち取ることが、天国にいるケニーさんとの約束だという。
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今週の『奇跡体験!アンビリバボー』は、必見!アメリカで社会問題となっているえん罪事件「ケニー・ウォーターズ事件」についてオンエアされた。兄の無罪を信じ真犯人を追う『妹ベティアン・ウォーターズ』の壮絶人生とは!冤罪証明のため自ら弁護士になった妹にスポットをあて、事件の全貌が明らかになる。その内容を解説します!最後まで読んでくれたら、事件解決の糸口があなたもわかると思います。
【事件発生】
今から32年前の1982年。
当時28歳だった妹・ベティアンは、夫と生まれたばかりの息子に囲まれ、平凡ながら穏やかな日々を送っていた。 ある日、1歳年上の兄・ケニーが警察に逮捕されたと、母から電話があった。
ケニーはそれまでにも、度々警察の厄介になることがあったが、この日はいつもと様子が違っていた。
兄・ケニーが「殺人容疑」で逮捕されたのだ! 実はこれより2年前、この地区で凄惨な殺人事件が起こっていた。
1980年5月21日。 マサチューセッツ州、エアー郊外の住宅で主婦カタリーナ・ブローさんの刺殺体が発見された。 家の中は荒らされ、現金や宝石が盗まれていたことから、警察は物取りの犯行と断定し捜査を開始した。
すると、カタリーナさんは当時ケニーが勤務していたバーの常連で、店内でよく宝石の自慢をしていたのだ。
それでケニーが、 参考人として取り調べを受けることになったのだ。
だがこの時彼は、すぐに釈放されている。 というのも、現場に残された『ナイフ』から被害者のものと別の血液が発見されており、犯人は被害者と争った際に負傷した可能性が高かったからだ。
さらに、犯行時刻とされた朝8時から9時の間、彼には完全なアリバイがあったのだ。
ケニーは、事件前日の夕方から当日の午前8時30分まで勤務先で仕事をしていた。 その後 店を出ると、いったん当時の恋人・ブレンダの待つ自宅に戻り、スーツに着替え、午前9時、少し前に起こした喧嘩騒ぎで出頭命令を受けていたため裁判所に向かい、午前11時までその裁判に出席していた。
その後、ケニーに殺害容疑がかけられたことに憤慨した恋人のブレンダも、警察でケニーのアリバイについて証言。 さらに、タイムカードに記録された時間からみても、ケニーが犯行を行うことは絶対に不可能であることがはっきりと証明されたのである。
しかし、疑いは晴れたものの、真犯人は結局、見つからなかった。 警察は懸賞金をかけて情報提供を呼びかけたが、捜査は進展のないまま2年の月日が流れた。
【冤罪?のはじまり】
そんなある日のこと、カタリーナさん殺害について重要な情報を持っているという電話が警察にあった。 この時、電話をとったのは『ナンシー』という女性だった。 実は彼女は正規の警察官ではなく、限定的に職務を許された非正規職員だった。だが、彼女は自分が担当者だと偽り、ほかの警察官に代わることなく話を聞いたのだ。
電話の内容は、「2年前、警察に嘘をついた奴を知っている」というものだった。
こうして事件から2年半後、ケニーは突然逮捕された。
連絡を受けた妹・ベティアンは、すぐに警察署に向かった。 ベティアンは当時のアリバイを主張し、事件があった日のタイムカードを見せてくれるよう頼んだのだが、一般人には証拠を見る権利はないと、門前払いされてしまった。
【誰かの陰謀か?組織ぐるみか?】
ケニー自身も、なぜ逮捕されたのか分からずにいた。 しかし、あれだけたくさん証拠あったのだから、裁判になれば無実は証明されると信じていた。
だが数ヶ月後、ケニーの裁判が開始されると、待っていたのは信じられない展開だった。
なんと、検察が裁判に提出した証拠品の中に、ケニーの無実を証明するはずだった事件当日のタイムカードが入っていなかったのである。 さらに、弁護士は異議を申し立てることもしなかったのだ。
実は、ケニーの弁護士は無料で頼める国選弁護人だった。 ケニーが誰が見ても無実なのだからお金をかけて弁護士を雇う必要はないと言ったのだ。
だがそれが間違いだった・・・。
ナイフから検出された被害者以外の血液は O型、ケニーもまた O型であることを検察は指摘。
当時はまだ、科学技術捜査が発達しておらず、血液型である程度の絞り込みを行うことが精一杯だった。
もちろん、これだけでケニーを犯人だと断定することはできないはずだった。
【偽証なのか?】
しかし、驚くことに、当時の恋人・ブレンダが裁判に現れ、「あの日、ケニーは自分から俺が殺したと言ってきたんです」と証言したのだ!! さらに、当時 ケニーから DV を受けていたため、恐怖心から警察に本当のことが言えなかったと・・・。
事件後に別れた元恋人が突然証言を覆した。
そして事件から3年後、ケニーには第一級殺人および武装強盗の罪で「終身刑」が言い渡された。
有罪判決を受けた後、ケニーの家族はなけなしの金をかき集め、弁護士を雇って上訴した。
しかし、その頃にはケニーの無実を証明する証拠は全て紛失という形で処理されていた!
それだけではなかった。 事件当時 ケニーのアリバイを証言してくれていた仕事先の仲間たちも、ケニーの逮捕後はなぜか揃って口を閉ざすようになってしまったのだ。
結局、またもや敗訴。 終身刑の判決は変わらなかった。
もはや、警察が何らかの圧力をかけているのは明白だった。
【最悪の事態に・・・】
そんな折、悲劇は起こった。 絶望したケニーが、刑務所内で自殺を図ったのだ!
何とか一命は取り留めたものの、ケニーの絶望は変わらなかった。
もっと良い弁護士を雇って上訴するというベティアンに、
「だったらお前がやってくれよ!ほかの奴はもう誰も信じられない」と、ケニーは言った。
ケニーが発した突拍子もない一言。
だがこの時、ベティアンの脳裏にはあることが浮かんでいた。
ケニーが逮捕された時、警察で一般人には証拠品を見る権利はないと拒否された時のことだった。
さらに、それまでの裁判の経験から、弁護士でなければ特定の証拠を確かめることも、事件関係者と話すこともできないことは分かっていた。
【妹・ベティアンの決意】
ベティアンは、弁護士になることを決意した。
こうして兄の無実をはらすために、29歳で弁護士を目指す妹ベティアン・ウォーターズ だが、それは、彼女にとって途方もなく長い道のりの始まりだった。
なぜなら、アメリカで弁護士資格を得るためには、大学の法学部で4年間 学んだ後、3年制の法科大学院に通わなくてはならない。 最短でも「7年」はかかる計算になる。
しかし、ベティアンはそれまでの裁判で全財産を使い切っており、総額5万ドルにもなる学費をためることから始めなくてはならなかった。
それだけではない、主婦である以上、家事や育児は当然の義務。
さらに肝心の勉強も高校を中退していたため、基礎科目から学び直す必要があった。
それでも彼女は睡眠時間を削り、この生活を貫き通した。
【ベティアンの信念】
支えていたのは、何としてでも『兄の潔白』を証明したい、その信念だけだった。
そしてケニーとの約束から5年後、ベティアンはついに大学に合格。 この時 34歳、無実の兄を救う戦いの入り口に立ったのだ!
大学に入って専門的に法律の勉強を始めてみると、自分たちがいかに困難な状況に置かれているか分かってきた。
すでに終わった裁判で認定された事実を覆すのは難しく、また、再捜査を求めるにも、今までにない『新しい証拠』が必要だった。
それでも、どこかに、きっとケニーを救う糸口があると信じ、4年をかけて大学を卒業。
ベティアンは、40歳にしてついに大学院にまで進学した。
分かったことは、皮肉にも、学べば学ぶほど、『ケニーの無実』を証明することは難しい、ということだけだった。
【絶望・・・からの脱出】
そして、様々なすれ違いから夫と離婚。
大切な家族を救うための努力が、皮肉にも自らの大切な家族を失う原因となってしまったのだ。
さらに、当事者ケニーからも諦めの言葉が・・・。 今まで自分は何の為にがんばってきたのか? 全てが分からなくなってしまった。
彼女はもはや、生きる意味さえ見失いかけていた。
そんあある日のこと。
大学院を休むベティアンを心配して、友人であるエイブラが、訪ねてきてくれた。
エイブラは、「ここで諦めたら本当に終わっちゃうのよ。本当にそれで良いの?」と、ベティアンに言った。
弁護士を志すことがなかったら出会うこともなかった、エイブラはかけがえのない親友だった。
彼女の選んだ過酷な道のりは、決して失うことばかりではなかったのだ。
そして、ベティアンは決して諦めないと決めた。
【新たな希望】
こうして再び前を向いて歩き出した彼女に、大きな転機が訪れたのは、大学院の卒業まで後1年に迫った頃のことだった。
当時 最新技術だった 『DNA鑑定』のことを知ったのだ。
今でこそ頻繁に耳にする DNA鑑定という言葉だが、捜査や裁判で証拠としての効力を発揮したのは、1990年代に入ってからのことだった。
ベティアンの脳裏に稲妻が走った!!
あの裁判でケニーを有罪に導くため、証拠として使われた『凶器のナイフ』。
そこには犯人と思しき人物の血痕が付着していた。 もしもその血痕が、ケニーのものでないと分かったら、あの時の検察側の主張は、根本から崩壊することになる。
しかも、紛失扱いにされたタイムカードと違い、裁判でも実際に使用されたあのナイフなら、今でも保管されている可能性がある。
それは十数年の間、深い霧の中で懸命にもがき続けていたベティアンにとって、初めて見えた『本物の希望』だった!!
【唯一の希望が・・・】
ケニー逮捕から、実に「16年」の月日が経った1998年。 ベティアンはついに法科大学院を卒業、弁護士資格を取得したのである。
弁護士となったベティアンが最初に向かった場所、そこは、かつて門前払いされた地元の警察署だった。
弁護士として当時の証拠を見に来たのだ。
だが、ここには証拠がなく、ずいぶん前の事件のため、廃棄されてしまったかもしれないというのだ。
裁判に使用された証拠には保存義務があるが、その期間は州によって異なっていた。
また管理体制の乏しい機関の場合、保存期間を過ぎると廃棄してしまうこともあったのだ。
10数年に及ぶ苦労の末、ようやくたどり着いたはずの『希望』。
しかし、無実を証明できるはずのそのナイフは、保存期間が過ぎており、どこにあるのか全く分からなかった。
その後も親友と共に、手当り次第に探し続けたが、いくら調べても証拠品の行方は分からなかった。
だが、実は希望もあった。
証拠品が廃棄された場合、通常は、廃棄されたという『記録』が残されるはずなのだが、どんなに調べても、その『記録』は発見されなかったのである。
それは、『あのナイフ』が、まだこの世のどこかに残っているかもしれない、ということを意味していた。
そして、しらみつぶしに証拠品を捜し始めてから数ヶ月後のこと。
ケニーの裁判をした場所とは全く違う場所にある裁判所の地下倉庫に、証拠品が保管されていたのだ。
ベティアンはその後、検察にナイフの『DNA鑑定』を依頼。
これでようやくケニーの『無実』が証明される、はずだった。
だが、何と、検察はベティアンが依頼した DNA鑑定を拒否してきたのだ。
検察はケニーを有罪にしたのは、血痕だけではなく、複数の根拠があったためと主張。
今更、DNA鑑定をする必要はないと判断したのだ。
だが、法律の専門家となったベティアンにとって、この検察の回答はある程度『想定内』だった。
彼女には検察に、なんとかDNA鑑定を認めさせる、とっておきの『秘策』があったのだ。
【新展開!】
ベティアンは、かつて裁判で突然証言を覆したケニーの元恋人・ブレンダの元を訪ねた。
ブレンダは何も語ろうとしなかった。
だがその時、ブレンダの娘・マンディーが「お母さん、本当のことを言って!」と、言ったのだ。
実は、ケニーとブレンダの間には子供がいたのだ。
その後、二人は別れてしまい、娘はブレンダが引き取って育てていたのだ。
マンディーは、殺人者の子供として幼い頃いじめられていた。
そのため、本当に自分の父親が殺人を犯しているのかどうか知りたかったのだ。
すると、元恋人・ブレンダは信じられない『真実』を語り始めた。
【真実への道のり】
実は、『ケニー逮捕』の、きっかけともなった情報提供の『電話』。 その電話をかけたのは、ブレンダがケニーと別れた後に交際していた『オズボーン』という男だった。
オズボーンは、ブレンダから事件のことを聞き、「適当な情報を流せば、懸賞金が出るかもしれない」という軽い気持ちで警察に電話したのだった。
それこそが、悲劇の始まりだった。
さらに、ブレンダはケニーを逮捕した、警察職員『ナンシー』に脅され、証言を覆したというのだ。
当時、警察の非正規職員だったナンシーは、正式な警察官として採用されることを目指していた。
そんな時、突然かかってきたオズボーンからの電話でナンシーは、「手柄を立てれば、警察官になれる」と、思った。
後にオズボーンと共謀してブレンダを脅迫し、無理矢理、ケニーを犯人とする『証言』をさせていたというのだ。
そしてこの日、『ブレンダとの会話』を録音していたベティアンは、再び、検察に『再捜査』を依頼した。
その結果、検察もようやく重い腰を上げ、ナイフの『DNA鑑定』を実施することを認めたのである。
そして、DNA鑑定の結果が届いた。
そこには、「ナイフに付着していた血痕と、ケニーのDNAは、一致しなかった」と、はっきり明記されていたのだ。
後日、とうとう何の言い逃れもできなくなった検察は、ケニーの釈放を決定した。
ケニー・ウォーターズ事件が『えん罪』であることを認めたのだった。
そして、2001年6月。
18年もの間、投獄されていた『ケニー・ウォーターズ』さんは、この日晴れて自由の身になったのだ!
ベティアンさんはこう語る。
「あの18年間が、特に辛かったとは思いません。もしも、これから同じことが起こったとしても、私はまた同じことをします。」
13年前、執念で兄の『無実』を証明した新人弁護士『ベティアン・ウォーターズ』さん。
現在の彼女を訪ねてみた。
待ち合わせ場所に指定されたのは、とあるレストラン。 中に入ってみると、ベティアンさんが迎え入れてくれた。 実はベティアンさん、ケニーさんの事件を含め、これまで弁護士として『報酬』を受け取ったことは一度もなく、学生時代から数えて、23年目となる今も、このレストランで働いている。
そして晴れて自由の身となった兄のケニーさんだが、残念ながら釈放後、不慮の事故で亡くなっていた。
しかし、ベティアンさんは、兄の死であの18年間が無駄になったとは思っていないという。
実はベティアンさんは、えん罪の可能性が高いある事件の弁護を無償でおこなっているという。
兄のケニーさんが獄中にいる時、彼と知り合い無実だと確信したという。
その彼の無実を勝ち取ることが、天国にいるケニーさんとの約束だという。
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タグ:冤罪 弁護士
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